01/16/2017

2015年2月20日-2017年1月16日

昨年の2月、使っていたiphone3GSがとうとう立ち行かなくなり iphone を4年使い続けた結果、それに拘る理由もなくどちらかというとgoogleのサービスの恩恵を受けていることが明確になったのでそれならばとその時話題になっていたNEXSUSへ変更した。(ピッタリ4年で変更すれば手数料はかからない!と計算しタイミングを測った結果間違っていたため手数料を払うことになって消沈したのはまた別の話、アレは頂けない)

androidに後押しした理由の一つが噂だけが聞こえていてiphoneでやるにはまだ時間がかかると言われていたgoogle製のゲーム(?) ingress をやろうと思っていたのも大きく、楽しみにしていたのだけど、インストールしたのは4月。5月くらいからはじめたのだった。これが面白かった。説明は検索して頂くことで省きますが、散歩がなにより面白くまた興味が土地に向かうため近所の地図や歴史がわかるようになる、という土地から離れている僕にはうってつけのゲームでただの万歩計がゲームになり、外にでるようになったのだった。運動はそれなりにやっていたんだけど、ジョギングなりスイミングなりは毎日組み込むような運動ではないためい

それに伴い携帯番号が変わってしまったんだけど、

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という文章を2015年の2月20日に書いていて推敲途中でそのまま放ってあった。
2017年1月16日に追記して公開することにした。
…がその内容は「昨年の…」からで始まる辺りどうにもこうにも感は否めない、2014年の話を1年後に日記にし、それを2年後に公開している。

ingress は2014年夏にiphone版が公開され、この年の暮れ東京で開催された世界イベントダルサナ以降メジャーな位置情報ゲームとして今もまだプレイされている。世界中を巻き込んだゲームなので興味ある人は自分で色々検索してなどして意味がわからないというところから脱してほしいと切に思う。そして地域のコミュニティに参加してみてほしい。パソコン通信時代nifty-surve での会議室での誰ともわからないいろいろな人たち(本当に色々な人たち)とのコミュニケーションが僕には思い出されて、有意義です。共通点が趣味でもなく、仕事でもなく、損得のないゲームだけ、という一点だけの接点で触れ合う人々はとても幅広いものなんだ、と知ることが出来る。良いも悪いもあるけど。

ingressは生涯続くゲームではなく終りがあるものなので、出来るときに参加し楽しもうと自分でも思っています。(京都shonin には参加しました、楽しかった)

そして先の日記の最後、携帯の番号のくだり。3年前に変ってしまって、不義理を多くしていると思っているのを今更ながら再度、、、滋賀に引っ越して携帯を変えたときにはもう東京に戻ることなんてない…携帯番号を知ってる人たちと絡むことなどもう無いんだろう…と悲観してたところ、ingress をはじめて タンマ それは間違いやったで!…少なくても自分から捨てること無いだろう、と思いなおした日記なのだった。

そして2016年の11月に2000年から公開していたホームページが@niftyホームページ終了とともに消えてた。
デジタルの無情さには感嘆する。

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滋賀>福岡に2015年の8月に引っ越しました。(つまりそれからも一年たっている)

2015年に買ったandroidスマホは今年に入り、落として液晶が割れてしまって今はほしいスマホを待っている状態です。液晶が割れたまま使っている人をみて、なぜなんだろうと思っていましたが、ほしいスマホがでないからだと思った次第。

またもう少し頻繁に更新していきたいなー

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02/20/2014

2014年02月20日(本は悩ましい)

本屋に行くとテンションが上がるのは単純に本が沢山あるからだけど、本一冊一冊を目視できることが大きな要素で小さい本屋より大きい本屋のほうが興奮するのはその物量への驚きがまずあるからだろう。
本は時間をかけてたくさんの誰かが調べ、まとめ、書き、撮り、描き、一ページ一ページ丁寧に、一文字一文字間違いないか確認し、読みやすいように整理して、印刷。それを束ねて読みやすい形にしたものだ。それを各地の誰かが丁寧に一冊づつたくさんある棚に並べてある、と考えると本屋は大きければ大きいほど興奮するのは当たり前のように感じる。そこにはダイナミックな運動の積み重ねすらある。

知識っていうのは積み重ねで本はそれを体現し、沢山の本棚もまたそれを体現している。本屋は知識の集積場ということだ。興奮しないわけがない。
そんなところにいくもんだから、ぼくみたいなのは欲深いものでその中から自分の好みのものを近くに置きたいと思い、買って持って帰るようになるわけだけど、そうなると場所の問題が出てくる、そんなにたくさん置けるわけがないからだ。あさましいものです。
今僕の本棚にあるのは自分でこの本はまだ読みたい、もう一度読みたい、と取捨選択してきた結果なんだけど、一つの本棚以上の本は持たない、というルールを決めているので結果、増えれば処分するわけなんだけど、本棚に入れてしまった本は読まない、ということにも気付き、本当になんなんだろうと…思うわけです。わざわざ買ってきて愛でた後飾る。

本は悩ましい。

場所の問題は電子書籍が出て、その問題がクリアされるだろうとは思う。ただ、それができたとして、電子書籍をたくさん集めて、さて読む時間があるのだろうか、本棚と同じように、そこに入った瞬間にもう、本としての機能は収集以外にあるのだろうか、そして、時間である。そこここで発生している時間の取り合いはとにかく過酷でこんなところまで及んでいる。例えばごはんを食べることなどより優先順位は低いから、もう持ってるもので十分で広く浅く読み続けるより自分の好きと決めたものをより深く付き合うほうがいいんじゃなかろうか、とにかく本は悩ましい。

…と本来のスジであるところのSFが読みたい読みたいとずっとどれを読もうか悩んでいたんだけど(グレッグ・イーガンが良い、って皆言ってたからそれにしようかと思ってた)ひょんなところで満足してしまった、っていう話をするつもりが、マクラが結構長くなっちゃったので、それは又の機会にしようかと思う。

ひょんなことからは保坂和志のカフカ式練習帳 の中の「パソコンのハードディスクの容量をあらわす単位が」の章がそのひょんなことからでした、そう長くないの一度手にとって読んでみてはいかがでしょうか、とても面白く読めましたのでお勧めいたします。

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01/09/2014

2014年1月09日(昨年の総括)

2013年の日記を眺めると、一ヶ月に2つの記事を書くいう目標も9月には体力も切れ(飽きた)12月にはとうとう一つの記事を書くこともなかった。一年単位で徐々に弱っていっているのがドキュメンタリーとして楽しめる。広告をいれたのは10月でテコ入れとして広告だったように思い出すけど、その段階でどうしてそうなったのか、今となってはその心境はわからないけど、明らかに7月に頑張りすぎている。迷走とはこういうことなんだろう。
とはいえ本数にすると28本。目標であるところの24本はクリアしてるのだから目標は達成!バンザイ!…なんてそもそも数でやってないから後付にも程があるけど、こうやって文字にしてしまうのは、改めて読んでみたら僕自身、日記は面白かった。

総括するに日記は短く簡潔なほど良い。読みやすい量というものが絶対的にあると感じられる。長々と書いている時は精神の状態がよろしくないときなんではなかろうか、とも。考察なら読みやすい方がいいし、そもそも分かり難い。やはり構成が良くないと長いのは全部読めない。あまちゃんの感想なんて面白く無いので全部読めなかった。明らかに感情の熱量だけで書いていて読まれることを意識してない。
作品は味わうものなのかもね、僕は。
ちなみに10月の広告をいれてその結果があまり芳しくなかったので12月は書かなかったというわけではなく、習慣化したものが徐々に色あせていった結果です。と未来の自分に。
昨年末は例年のようにザッピングではなくずっと紅白を見ていたんだけど随所にあまちゃんのショートドラマが差し込まれていてそれが楽しみで、昨年は本当にあまちゃんを楽しんでいたんだなあ、ということを思い出した。あまちゃんの余韻にずっと浸っていて幸せな年の瀬でした。
後、年末年始の儀式をしないと年明けてさあ新年だ、正月だ、っていうことにはならず何もしないとそのまま普通になってまうのだった。料理もいつもと変わらず。
クリスマス前に奥さんが風邪をひき、それが回り皆一度調子を崩しての年末だったから。
年越しそばは食べたけど御節とか鏡餅とか正月飾りとか。喪中ではあるんで、それでいいのだけどあまりに普通だったんで逆にそれが新鮮だった。

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11/24/2013

2013年11月24日(りんごあめ)

寒くなってきて徐々に紅葉進んできている。
昼の日なたなら外で弁当を食べても楽しめるだろうな、と天気も良いしお弁当を作って外へ買い物へいくことにした。
お弁当はサンドイッチ。娘は卵アレルギーで市販のものは色々面倒なので、外で食事になりそうなときは弁当を持参することが多い。パンにすることは少なくて大体おにぎりなんだけどパンの場合は大体フランスパンとかかにぱん(かにぱんは卵が入ってないんです)ばかりで、お弁当がサンドイッチと聞いて娘は跳ねて喜んでいた。サンドイッチは絵本で見たことがあるから。うちのサンドイッチは耳も切らないのでよくいうサンドイッチかというと微妙かもとおもいつつ喜んでるなら、こちらはうれしい。
青年会が主催する琵琶湖のイベントを眺めつつお弁当を食べるつもりで出店をひと通りみていたら娘がりんごあめが食べたいという。見ると値段が200円、りんごあめは大体500円以上するもので立派なやつだと700円くらいしたはず…これはお買い得と思いつつ、厄介なものを目につけたな、とも思った。
僕自身を振り返るとりんごあめは祭りの出店でみるくらいで高いだけで美味くもないし、見た目だけ、という評価をしていて(そもそも屋台で500円だったらお好み焼きを買うか引きくじをするか型抜きをするかというほうで)りんごを飴でコーティングするだけで500円の価値はない、と断言してきたくらいだし、実際、飽きちゃって全部食べられないだろうし、食べるのに時間がかかるし、落としたら一発アウトだし…と印象は良くない、のだが…ただその見た目の美しさは子供も引きつけられるくらいでガラス細工にりんごを封じ込めて時を止めてしまったような、そしてなおかつ食べられる宝石のよう
…しかし何より目の前でキグルミが踊っているのは目もくれずりんごあめが気になるようで、今日おやつは何一つ買わない、という奥さんとの約束でりんごあめを購入。
買ってからはりんごあめをとにかく持ちたがり、そして食べたがり、ぐずったり大声で泣いてしまう。が、これは眠いものだと自転車を走らせることにし途中案の定で眠ってしまう。(その間シャボン玉のワークショップを見つけ、それもやってでもぐずったりもしたけども)
買い物をしている途中で目が覚めた娘は、おやつとしてりんごあめを手渡すとカートに乗ったままずーっとりんごあめを舐め続けている。いつもなら自分のやりたいことを主張して叫んだりあそびはじめたりするのだけど、ずっと黙ってりんごあめを舐め続けている、手も顔も服もベトベトになるんだけどお構いなし。いつ飽きるのかなと思ってたけど結局、最後の方まで飽きなかった。
僕は奥さんが買い物中、娘と店外でぼんやりしていたのだけど、そこで気づいたのが、りんご飴というのは子供の視線を釘付けにする効果がびっくりするほどあるということ。
りんごあめをただなめているだけなのに、ある子は通り過ぎる間ずっと凝視し、ある子は二度見し、ある子は通り過ぎつつりんご飴食べたいと親にねだる、などというような現象を目の当たりにし、ただなめているだけなのにその効果に驚きを禁じ得ない。
りんごは子供の顔の半分以上の大きさだからインパクトも大きいとは思うけど、とにかく8割ほどの子どもたちがうちの子供がなめているりんごあめに反応する、というのが新鮮。りんごあめを食べているだけでアイドル。娘はその自覚はなく、とにかくりんごあめに夢中で、僕は僕で、りんごあめをなめているべろべろグチャグチャの娘、その父だという変な誇らしさでチョッとだけ気分が良かった。意味はわからないけど、そしてファッションセンターしまむらの前だけど。
食べる時間も他の食べ物よりはるかに長いからその滞空時間は長い。
一口食べさせてもらった今日のりんごあめは外側にコーティングされた飴にも負けない位りんごが美味しくて、今まで数回しか食べたことのないりんごあめとは別次元の美味しさでした。
ショックだった。
りんご飴って中のりんごが美味しいととても美味しい!ということに。
だから屋台で未だに売っているのか!
ところで。りんごあめを子供が食べるととにかくベタベタしてあとが大変です。ホント目も当てられない。
そこで最近ウチでのヒットはこれウェットティシュのふたです。
プラスティックの円柱状のモノもいいのですが袋タイプのものにつけることでかさばらずに持ち歩けるので非常に重宝します。おすすめ。

☆りんごあめの効果

・子供がじろじろ見る。
・手などがベタベタになる。
・長時間たべられる。
・中のりんごが美味しいと美味しい食べ物。
・ただのりんごを飴でコーティングしただけなのになんでこんなに高いのかという疑問は常にココロを汚す。
・美しく美味しい。

夜は鳥もつ煮を作った。

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10/06/2013

2013年10月6日(最近買った漫画など)

最近買った漫画など。

へうげもの(17巻)
関ヶ原を経て、大阪の陣までの15年間をじっくりと描いていく最中で本能寺後や関ヶ原のような力が直接ぶつかりあう血生臭さはなりを潜めより政略的でじっくりと語られているように思いました。物事は表ではなく裏で色々進められ敵もわからずも読み合いなのだけど、行動をすることでしか、願は叶えられず、行動しても叶えられないと読んでいてじんわり思いました、器にしても茶道にしても、夢にしても。徳川が世を握るようになってから、読んでいる方もギチギチに囲い込まれているように感じています。
鬱金色の表紙。へうげものの単行本は、各々色が違うのでそれもまた楽しみ。

竜のかわいい七つの子
作者のwebを見て、面白い漫画だな、とおもって。短篇集なんだけどどれも読ませるものばかりで甲乙つけがたい短篇集もナカナカ無いようにおもって、他の作品も読んでみたい。
敵対する国と国の間に巣を作ったドラゴンのお陰で戦争も交易もままならない中に、無理をして交易をしようとする人の話や、狼男症候群の話など、色々バラエティに富んでいて飽
きなかった。

宝石の国(1巻)
市川春子の新作は連載で、これがある程度コンスタントに読めるのかと楽しみが増えた。
鉱石でできた人々の月から攻めてくるモノたちとの戦いを描く。始まったばかりでキャラクタの特定がまだ曖昧(登場人物が多い)だけど、硬度も戦いもダメな主人公が博物誌を編むというところからはじまる不思議な世界の話。
ブログはクセにしないとすぐ止まるね。

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