2014年02月20日(本は悩ましい)
本屋に行くとテンションが上がるのは単純に本が沢山あるからだけど、本一冊一冊を目視できることが大きな要素で小さい本屋より大きい本屋のほうが興奮するのはその物量への驚きがまずあるからだろう。
本は時間をかけてたくさんの誰かが調べ、まとめ、書き、撮り、描き、一ページ一ページ丁寧に、一文字一文字間違いないか確認し、読みやすいように整理して、印刷。それを束ねて読みやすい形にしたものだ。それを各地の誰かが丁寧に一冊づつたくさんある棚に並べてある、と考えると本屋は大きければ大きいほど興奮するのは当たり前のように感じる。そこにはダイナミックな運動の積み重ねすらある。
知識っていうのは積み重ねで本はそれを体現し、沢山の本棚もまたそれを体現している。本屋は知識の集積場ということだ。興奮しないわけがない。
知識っていうのは積み重ねで本はそれを体現し、沢山の本棚もまたそれを体現している。本屋は知識の集積場ということだ。興奮しないわけがない。
そんなところにいくもんだから、ぼくみたいなのは欲深いものでその中から自分の好みのものを近くに置きたいと思い、買って持って帰るようになるわけだけど、そうなると場所の問題が出てくる、そんなにたくさん置けるわけがないからだ。あさましいものです。
今僕の本棚にあるのは自分でこの本はまだ読みたい、もう一度読みたい、と取捨選択してきた結果なんだけど、一つの本棚以上の本は持たない、というルールを決めているので結果、増えれば処分するわけなんだけど、本棚に入れてしまった本は読まない、ということにも気付き、本当になんなんだろうと…思うわけです。わざわざ買ってきて愛でた後飾る。
本は悩ましい。
場所の問題は電子書籍が出て、その問題がクリアされるだろうとは思う。ただ、それができたとして、電子書籍をたくさん集めて、さて読む時間があるのだろうか、本棚と同じように、そこに入った瞬間にもう、本としての機能は収集以外にあるのだろうか、そして、時間である。そこここで発生している時間の取り合いはとにかく過酷でこんなところまで及んでいる。例えばごはんを食べることなどより優先順位は低いから、もう持ってるもので十分で広く浅く読み続けるより自分の好きと決めたものをより深く付き合うほうがいいんじゃなかろうか、とにかく本は悩ましい。
…と本来のスジであるところのSFが読みたい読みたいとずっとどれを読もうか悩んでいたんだけど(グレッグ・イーガンが良い、って皆言ってたからそれにしようかと思ってた)ひょんなところで満足してしまった、っていう話をするつもりが、マクラが結構長くなっちゃったので、それは又の機会にしようかと思う。
ひょんなことからは保坂和志のカフカ式練習帳
の中の「パソコンのハードディスクの容量をあらわす単位が」の章がそのひょんなことからでした、そう長くないの一度手にとって読んでみてはいかがでしょうか、とても面白く読めましたのでお勧めいたします。
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